森繁さんの「交友録」から

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森繁久弥さんの『森繁交友録・あの日あの夜』が面白くて、ブログの分類からいえば

「ときには本の話もね」で紹介すべきだが、こちらの「おねがい、笑ってよ」で紹介することにした。

森繁節の洒脱な笑い連続炸裂の文庫本であります。

いくつか紹介しよう。



いまでは知らない人も多いだろうが、エノケンといえば戦前戦後の映画演劇で「日本の喜劇王」と

よばれた喜劇役者だった。

酒に酔ったエノケンさんが愛人をつれて、どこかの宿に入って、便所にいった。

(便所は現代のような水洗式ではなく、下に便槽がある旧式便所)

「そうしたら下の壺からお化けが出て、俺のチンをヒューコラヒューコラひっぱるんだよ。

いや、おったまげて酔いもさめたよ。誰だキサマ!と下へ怒鳴ってあわてて飛び出したんだが、

何と足もとにゴムが落ちて、ビチャビチャになって。

なんてこった、俺はめてたんだ。小便がその中にたまって、だんだん重くなるだろう。

それが左右にゆれるわけよ。いや、ほんとうに下から手が出て俺のをつかんで、引っ張ってると

思ってサ。今じゃ笑い話だけどネ。近ごろはいいな、西洋式で……」

エノケンさんの便所の怪談を語ったあとで、森繁さんは、イギリスの男便所で見た

「品性」のある落書きを紹介する。

「君は今、しあわせだ。なぜなら、君は今、君の将来を握っているから」


松永安左ェ門
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松永安左ェ門といえば、電源開発の鬼とか電力王とよばれた実業家で、とても長生きをして、

伝説的な精力家だった。

90歳になった松永翁に、森繁さんは箱根の小涌園のロケで会った。

女優が好きだという松永翁は、

「君はいいから、女優さんをタンと連れて来なさい」と元気。

「ご老体、長寿の秘訣を一つ」と森繁さん。

「早く女の関係を断つことです」

「ハッ、ハイ、なるほど、ならばご老体はいつごろ」

「私は早い方でした、八十五くらいかな」

ジョークとも、本音ともつかね、この狸のようなお爺さんに恐縮した、と森繁さん。




映画俳優の田崎潤さんは豪放磊落な役どころを演じていた。

森繁さんによれば、平素の人柄も素朴で、裏表のない好漢だったらしい。

戦地では即死してもおかしくないほどの重傷を負って、軍医から「お前はもうすぐ死ぬ。

何か望みがあれば言え」と引導をわたされた。

酒好きの田崎さんは「酒がいただきたくあります。死ぬ前にぐっとあおって、そのまま

コロンとゆけば、自分は幸せであります」と言い、飯盒のふたで日本酒を一気にあおった。

それからこんこんと眠って、故郷のやさしいお袋さんの夢を見ていたら、死ぬどころか

ぴんぴんに治ってしまった。青森のお袋には、暇さえあれば恋人のような手紙を書いた。

戦後映画俳優となって、引き揚げ組の森繁、三船敏郎田崎潤は放蕩無頼をくりかえしながら

友情を深めた。

そんな母親思いの田崎潤さんに不幸がおとずれる。母親の死である。

49日がすぎても「お母ちゃん、お母ちゃん」と骨壺を抱いて泣きながら寝るので、まわりは

驚いた。

そればかりか、骨壺をあけて、母の骨を食べるのである。

「どうしてお袋さんの骨を食うんだ」と森繁さんが訊くと、

「おふくろと一緒にいたいんだ。だから腹の中に抱いてやるんだ」と彼の酔眼に涙が光る。

結局周りの者も泣かされる始末。

そんな好漢をガンが襲って、田崎潤さんは72歳で死ぬ。

森繁さんはこう追悼する。

「秋の一日、彼は母の骨を抱いて黄泉への道を、あの大笑いをしながら、トボトボと

歩いていることだろう。潤ちゃん、お前はほんとにいい奴だった。待ってろよ」

もちろん、今頃は、森繁さんは、田崎潤三船敏郎と、さかんに酒盛りをしているはずである。



山茶花究さんは芸達者の渋い俳優さんだったが、僕らがさいしょに見たのは映画ではなく、

歌謡漫談グループ「あきれたぼういず」のメンバーとしてだった。

坊屋三郎益田喜頓との人気絶大な三人組だった。

大阪出身で、ホンモノの関西弁が話せた。

森繁さんが映画『夫婦善哉』を撮るときに彼を番頭役として引っ張ってきたのも、その関西弁

のすごさが理由だったと思う。

その後、性格俳優として大飛躍をとげた。

森繁劇団が結成されると、三木のり平さんと並んで劇団の飛車角となる。

1971年に57歳の若さで亡くなった。結核だった。

さいごに病院に見舞ったとき、

こぼれそうな涙を目にためて笑ってくれた、と森繁さんは書く。

「淋しいもんやナァ」という。

「元気がないぞ、情けない」と言うと、

「おい、シゲさん」

「なんだ」

「一緒に行ってえナ、一人では淋しい」

森繁さんは。とても笑えなかった、と書く。

それはそうだろう、「一緒に行ってえナ」の関西弁は、森繁さんの息をとめるほどの

スゴサがあっただろうから。



東宝映画『社長…』シリーズで小林桂樹さん、三木のり平さんは欠くことのできない

共演者だった。

小林さんは社長秘書の役で、くそまじめなサラリーマン役にぴったりに見えた。

しかし、なかなかのクセモノなのである。

社長シリーズで、ある日、自動車の中で、森繁さんが彼の膝のあたりに手を置いて、

「なあ、秘書君、少し面白いことはないかね」と足をさすると、

『驚くべし今度は彼の手が私の膝から股のところをさすり、「ホテルへでも行きましょうか?」

というではないか。もっともカメラはそこでカットになったが、一斉に笑いが渦巻いた。

その笑いの中で、もしや彼も男色の方では―とチラッと思いがかすめたが、それは杞憂で、

その気はなく、その場のジョークでしまいであった。しかとは分からぬが――。』


いやいや、そんなシーンを社長シリーズ映画で見た記憶があるから、小林さんのジョークが

あとで面白いアドリブとして採用になったのではないか。

クセモノである。


まじめな風貌でありながら、『ひどい皮肉を、機知を交えて話す才能たるや絶妙』だと森繁さんの

小林評である。

森繁さんの母親の通夜にやってきた小林さんが面白く書かれている。

通夜にくると、一番いいウイスキーを出させて、とっときの銘酒をガブ飲みして、

大声で歌い出した。

  死んじゃったら おしまいダ

  泣いても 笑っても おしまいダ

つりこまれて通夜の連中は大合唱になった。

78歳の人生を全うしたおふくろの本当の通夜の姿だと、森繁さんは内心うれしく、

騒ぎのままにしておいた。

小林桂樹さんは帰り際に玄関で曰く。

「あのウイスキーはホンモノかい。悪酔いしたヨ」

その小林節に、なんといってお返しをしてやろうかと森繁さんは考えていた。

その小林桂樹さんが紫綬褒章を受章した。

『おめでたの会だ。何を言ってやろうかと胸がうずく』森繁さんであった。



以上で『森繁交友録』紹介は終わりにするつもりだったが、ついでにもう一人、

さいごに原節子さんにお出ましをいただこう。



俳優も映画監督も、だれもが一目惚れした女優が原節子さんだった。

もちろん森繁さんも片思いのクチである。

彼女と共演した映画は3本だけで、その一本が「ふんどし医者」

主人公の蘭学医者とその妻の役。

清楚な妻の、たったひとつの悪いクセが博打だった。鉄火場でヤクザ相手に丁半博打をうつ。

亭主の医者が付き添うのだが、妻が負けるたびに着ているものを脱がされて、やがて

褌一枚の裸にされる。それでも大笑いしながら夫婦仲良く夜道を帰っていくというストーリー。

憧れの原節子さんの前で、褌一枚になるのは恥ずかしくて目の前が暗くなりそうだったが、

ひきうけて、引き受けたからは森繁流である。

なにしろモナリザ的存在なので、みんなは遠慮して原さんに話しかけず、遠巻きにするばかり。

そこで森繁さんがとなりに座って、褌姿で、やぶれかぶれ。エッチな話などして

笑わせた。

「まあ~、いや」と彼女は顔をそむけたかとおもえば、「それで―」と話の先をうながしたりした。

それから、長い長い歳月が流れた。原節子さんはとっくに映画界を引退している。

あるところで、原節子さんの資産管理をするコンサルタントの社長に食事を招待された。

その料亭での話。

社長さんが言う。「節ちゃんが、あんたのことをよく言ってましたよ。

詳しくはお話出来ませんが、憎からず思ってられる話です。でも逢えないですよ。

けど、好きな一人だって」

森繁さんは天にも昇る心地になった。


ところで、森繁さんはどんなエッチな話を原節子さんにして聞かせたのだろうか。

この『交友録』の「原節子さん」の章の前のページに、ちょっとエッチな話が載せてある。

森繁さんが満州で放送局の仕事をしていたころ、昭和17年のころ、ある軍事作戦に

従軍したときのエピソードである。

満州の農家の便所は外にある。外といっても大きな柵があるだけで、ここで尻をまくると、

どこからか数頭の豚が現れて待ちかまえるのである。そして出したてのホヤホヤを美味そうに

食うのである。ところがあの荒い鼻息が尻のあたりにくると、おそろしいし、

間違ってブランと下がった玉でもかじられたらと、済んだヤツは棒を持って追っぱらうのだが、

なかなかどうして逃げる風などない。だから交代で私たちは友達の行事の最中、

援軍として追い払い役をやったのだ。』


これはトンカツの話の最後に書かれたエピソードであるが、

あるいは、「ふんどし医者」のセットで、裸の森繁さんは、この話を原節子さんにしたかもしれない。

「まあ~、いや」と豚に玉を食われそうになったところで、原さんは顔をそむけ、

「それで~」とあとを聞きたがったかも。

原節子さんは鎌倉で、まだご存命だと聞く。

森繁久弥さんの死を聞いて、原さんは何といわれただろうか。