燕京伶人抄

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皇(すめらぎ)なつきさんの『燕京伶人抄』を読みました。

2年も前に買ったまま、本棚の隅にあったコミックです。

当時まだ女子高生だったブログの「Charlie」さんが推奨していたので買ったものの、

なんということもなく、そのままになっていました。

「燕京」とは北京の別称です。「伶人」とは芝居の役者のことです。

1920年代の北京を舞台にして、京劇に魅せられてゆく若者たちの「愛と哀しみの奏鳴曲(ソナタ)」

と帯に書かれています。

また「息を呑むほど美しい皇なつきの京劇絵巻」というコピーがついています。

この帯コピーにウソ・イツワリはありません。

絵は丁寧に精細に描かれていますし、人物の衣装、髪型、背景の建物、風景にいたるまで、

作者が時代風俗を十分に考証しつつ描いていると、うなづける出来映えです。

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ごらんの通り、京劇のスターをめざす若者と、かれらに憧れる少女たちが主人公ですから、

「才子佳人」の物語で、それ以外の(たとえば不美人)人物はほとんで描かれません。

華やかな宝塚歌劇の「美しさ」です。

作品としては、この「美しさ」を楽しめばいいのでしょう。

「才子佳人」劇とは絵巻を楽しめばいいものだとおもいます。


作者の皇なつきさんは1967年8月の生まれで、いま42歳。

中国や朝鮮を舞台にした歴史的な作品を得意としているようです。

あとがきを見ると、この作品を、「二十世紀初頭の北京を舞台にしたシリーズは、特に思い入れの

深い作品」で、「描いた頃の私は、中国文化への憧れと、漫画を描くことに対する情熱が

最高潮に達していた時期でした」と書いています。

香港映画で京劇を題材にした作品を見て、はまった彼女は、戦前の本や写真ハガキを買い集め、

さらには北京まで出かけて中国語の文献や写真集を探し歩いたそうです。

そこまでしなければ、時代風俗、風景をここまで精細に描くことは出来なかったでしょう。

おみごとです。


ところで、1920年代とは、どんな時代だったか。


日本では大正9年~昭和4年にあたります。

関東大震災第一次世界大戦が終わり、平和な10年で、急速に都市化がすすみ、大正デモクラシー

とかモダンな生活文化の時代といわれました。

アメリカでは自家用自動車、ラジオ、冷蔵庫が普及して、女性の参政権がみとめられるという

「黄金の20年代」でした。

では、中国はどうだったか。

清朝が倒れ、中華民国が1912年に成立するものの、各地に軍閥がはびこって分裂状態。

1921年には中国共産党が生まれる。

国民党を創建した孫文が1925年に死去して、蒋介石が後継者の席につく。

そして1927年蒋介石は南京国民政府を樹立。

「黄金の20年代」が終わった1931年、日本の関東軍は謀略によって満州事変を起こし、

日中戦争へとなだれ込んでいきます。


つまり、この『燕京伶人抄』は激動する中国の20年代、まだわずかに平和がのこされていた北京に、

京劇の世界の華やかな、あでやかな才子佳人たちの絵巻きをひもといているのです。

すぐに戦乱の地獄へと堕ちてゆく、その寸前の夢のような絵物語です。


わくわく亭はこのところ中国の明代の末期から清朝初期の、いわゆる「明末清初」の

風俗を調べています。

女たちの衣装、髪型、男たちの衣服、冠り物など。

文献はあっても、絵がついてないと、イメージがわきません。

そのころの南京にあった遊郭について書こうとしているもので、青楼や街の絵がないものかと

図書館でさがし回っているのです。


そんなとき、皇なつきさんの「あとがき」を読んだものですから、北京まで行って

文献や写真集を買い集めたという苦労話には共感できました。

しかし1920年代の写真集は手に入れることはできても、1640~50といった

時代の、絵で見る史料は、さがすのに容易ではないです。