尾崎翠
この女流作家、名前はかすかに聞いた覚えはあっても、作品は読んだことがなかった。
文庫全30巻の「ちくま日本文学」叢書に入っているので、なんとなく手にしてみた。
尾崎翠(おざきみどり)(1896~1971)大正8年から昭和7年まで、23歳から
36歳までわずか13年ほどの短期間、小説の執筆をしただけの、ほとんど忘れられた
ような作家である。
薬の服用によってはげしい幻覚症状を呈するようになったため、海軍少佐であった長兄
に郷里の鳥取に連れ戻されて、事実上36歳で執筆活動は終わってしまう。
が学藝書林刊「全集・現代文学の発見」に収録されて、再発見されることになる。
しかし作者はすでに73歳の文学活動からは遠ざかった老女であり、寄稿や講演の
依頼もすべて固辞しつつ、75歳で高血圧と老衰とで死去した。
林芙美子のようなリアリズムの文章ではない。やや自虐を含んだ暗いユーモアの
味付けが持ち味の、観念的、幻想的な作品を書いた。
一般大衆に広く読者を得られるという文章ではない。
そのため、知る人ぞ知る、という存在として、長く文学史の底に埋もれてしまったといえる。
くどくどしい、繰り返しをあえてする文体で、現代人には読むのにつらくなるだろう。
物語というほどの骨格をもたないから、たとえば、自宅二階に引きこもった若い女性が
運動をかねて図書館まで往復する日々を書く。神経症に薬を飲むために体調が不順であるし、
貧乏のせいできりつめた食生活をしている。図書館では「ういりあむ・しゃあぷ」という
詩人の恋についてノートをとっている。
主人公の名前は「こおろぎ嬢」である。
その文体とは、
「さて、私たちは、この古風なものがたりを読んでいたこおろぎ嬢の許に還らなければならない。
この古風な一篇を読み進んだこおろぎ嬢は、身うちを秋風の吹き抜ける心地であった。
このような心地は、いつも、こおろぎ嬢が、深くものごとに打たれたとき身内を吹き抜ける
感じであって……」と語られるのである。
大正、昭和初期に「知的な、ロマン的」文体として書かれていた種類のものと思う。
昭和7年7月に女性文芸誌「火の鳥」に発表された短編「こおろぎ嬢」である。
その2ヶ月後の9月に鳥取へと連れ戻されてしまう。
「こおろぎ嬢」を読んで激賞した一人の作家がいた。
太宰治である。
昭和7年というと、まだ23歳の東大生で、習作を書いていた時代。
いつ読んだのか、明らかではないが、太宰好みの「こおろぎ嬢」ともいえる。