面食い文化

外山滋比古さんの『ライフワークの思想』に「面食い文化」という論文がある。


このごろの本は表紙で売る。先日、出版社の人からそんな話をきいて、まさかと思った。

いくら何でも、そんなことはあるまい。ところが、あとで考えているうちに、

いっこうにパットしなかった私のある本が、選書のカバーが新しいデザインになったとたんに

売れ出したのを思い出した。

やっぱりそうか。

外山先生、文庫本の古典といわれている作品、たとえば太宰治の「人間失格」「斜陽」や

芥川の「地獄変夏目漱石の「心」などの文庫本が、いまどき人気のコミックス作家たちの

イラストによるカバーに一新したところ、とたんに文庫のベストセラーとして甦った、という

ニュースは別に新しいものではないのですよ。

外山先生が、近年のこうした傾向を「面食い文化」の好ましくない現象であると斬って捨てて

いるわけではない。

ただ、中身を吟味すること無しに、見てくれに跳びつく軽佻さには苦言を呈している。

ある有名な文学者が田舎に行って、カエルの鳴き声をきいて、これは何だと言ったそうだ。

彼は自分の文学の中では「カエルはゲロゲロ鳴いている」と書いているのだが、ほんとうの

カエルの声を聞いたことがなかったらしい、というのである。

言葉を覚える教育ばかりを受けて育ち、現実に無関心な知識人が多すぎる。

こうした傾向が「面食い文化」を生みだしている、と先生は見る。

文学青年たちの中に、文芸作品の中に現れる人間には興味を持つくせに、自分の周辺に生きている

現実の人間にはまるで関心がないという人たちが少なくない。

言葉には敏感に反応するくせに、まわりの人間を傷つけて平気でいる。

かれらが書く文学では、文学と現実との関係をあいまいなままにしているからである。

外山先生は、誰の、どんな「文学」をお読みなのか知りたいところであるが、

現実の人間を、あまりよく知らない作家たちが、夢のような物語を書いても、それは

面食い人間を増やすばかりだ、と斬り込んでいる。