喫茶去(きっさこ)
わくわく亭の仕事場から3軒先にある喫茶店です。
喫茶去 快生軒。
開業が大正8年という老舗。
いつ見ても、ほぼ満席。
うまいコーヒーを入れてくれる店に違いないだろうが、
昔ながらに、お客はタバコが吸えるお店。
そうなると、どんなにコーヒーのいい香りがしていても、
残念ながら、敬遠してしまう。
ところで、「喫茶去」とは何だろうか。喫茶店や茶道の関係で見かける言葉です。
広辞苑でひいてみると、
《お茶でも飲んで来い。もともと相手を叱咤する語であるが、
後には、お茶でも召し上がれ、の意に解され、日常即仏法
の境地を示す語と誤解された》
禅問答につかわれた言葉だそうだ。
「お茶でも召し上がれ」という意味でつかわれているそうですが、もともとは
「茶でも飲んで去れ」とか「茶でも飲んでこい」と叱咤した禅語であるとか。
中国唐の時代の禅僧、趙州禅師が門弟と交わした問答の中にある話で、
禅における公案の一つとなった話。
あるHPから引用させてもらいます。
趙州禅師のところに二人の修行僧が来た。
師 : 前にもここに来たことがあるか?
僧一: 来たことがありません
師 : 喫茶去
僧一: 来たことがありません
師 : 喫茶去
もう一人の僧に趙州がたずねた。
師 : 前にもここに来たことがあるか?
僧二: 来たことがあります
師 : 喫茶去
僧二: 来たことがあります
師 : 喫茶去
院主が師に尋ねた。
院主: 前に来たことがない者に『喫茶去』とおっしゃり、
前にも来たことがある者にも、『喫茶去』とおっしゃる。
なぜですか?
師 : 院主さん!
院主: はい。
師 : 喫茶去
前にも来たことがある者にも、『喫茶去』とおっしゃる。
なぜですか?
師 : 院主さん!
院主: はい。
師 : 喫茶去
禅の公案というものは、なかなかロジカルな読み方では意味がわからないものです。
「どうです、あなた、おわかりになりますか?」
「わからない。そういうわくわく亭さんは、どうです。わかりますか?」
「喫茶去」