『百年の誤読』(8)「ノルウェイの森」

1981年~2004年までの話題本、ベストセラー取り上げられた30冊のうち、

わくわく亭が読んだのはわずかに3冊のみだった。

どんなに僕の読書傾向がそうした人気本と方向違いになってしまったかがわかる。

しかし、それら30冊(読んだ3冊を含めて)のリストをながめて、

読まなかったことを残念には感じない。

岡野、豊﨑の書評も、おおむね「読む必要はない」とする本がほとんどなのだ。

日本人は1980年代から今日まで、「読む必要はない」本ばかり読んできた、あるいは

宣伝によって読まされてきたともいえるのではあるまいか。


この期間の本としてリストアップされたものから、代表的な本をいくつかあげてみよう。

 「なんとなく、クリスタル」1981田中康夫
 「積木くずし」1982 穂積隆信
 「ノルウェイの森」1988 村上春樹
 「愛される理由」1990 二谷友里恵
 「マディソン郡の橋」1993 ウォラー
 「失楽園」1997 渡辺淳一
 「だから、あなたも生きぬいて」2000 大平光代
 「金持ち父さん 貧乏父さん」2001 
 「チーズはどこへ消えた?」2001
○「バカの壁」2003 養老孟司 
 「世界の中心で、愛をさけぶ」2004

○はわくわく亭が読んだ印です。

さて、1冊気になっている本がある。

村上春樹さんの大ベストセラー「ノルウェイの森」である。

村上さんの翻訳本や短編小説はかなり読んでいながら、これは読んでいないのである。

なぜか。理由としては、あまりの人気本なので、その人気に巻き込まれたくないという

ケチな警戒感(?)、それと江藤淳以来の村上作品に対するサブカルチャー評にひっかかって

しまうから(?)なのかも。

『百年の誤読』の2人は、この作品を発表当時さんざんに酷評したことを、

いまになって「ごめんなさい。いまとなっては、なぜあんなに気にくわなかったか思い出せない」と

反省している。

かれらにも村上作品の評価に波があったわけだ。

なぜ『ノルウェイの森』が売れているか、今日の朝日新聞の「読書」欄で、佐々木俊尚さんが

その分析をしている。

文芸書が「氷河期」を迎えている現在、なぜ村上春樹ばかりが売れるのか、日本ばかりでなく韓国、

中国、ヨーロッパで売れるのか、その答えにもなっているようなので内容を紹介する。

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 初版から20年余すぎてまだ売れている「ノルウェイの森」はトータルで975万部に達した。

発売当初「登場人物の行動に必然性がない」「薄っぺらな風俗小説」などと批判された。

日本文学のメインストリートから大きく外れる文学、と考えられたからだ。

ところが、若者達は、その「娯楽小説」「サブカル小説」を支持した。

1990年代「主流」そのものが失われ、物語は社会の一部にしか届かなくなっていた。

万人に届く小説はなくなっていった。

恋愛小説の名手江国香織、ヒットメーカーの東野圭吾にしても「社会全般に」届いているとは

いえない。ケータイ小説にしても地方の若者は読むが、都会では地方ほど読まれない。

なぜか。いまや多くの人が、自分自身の属している圏域にしか物理的なリアリティを感じなくなって

しまったからである。

村上春樹の小説には、そういう意味でのリアリティは元々、存在しなかった。

90年代以降、社会は反転して大きな物語としてのリアリティは失われ、それが村上春樹の

アンリアルな小説をリアルに反転させる結果となった。

(略)

『ノルウェイの森』から今まで、村上文学は一貫して変わっていない。だが世界の側が彼の

側に歩み寄り始めているのだ。

なるほど。

わくわく亭の本が「万人に届きにくい」という理由は、作品に「リアル」をもとめる所為か。

だからといって、いまさらファンタジーサブカル風の物語を書いて「アンリアル」の世界に

歩み寄ることはできない。

となれば、「万人」には届かずとも「千人」に届く小説を書くしかあるまい。(笑)