高野文子『棒がいっぽん』
高野文子さんの『棒がいっぽん』についても取りあげることにしよう。
2007年10月彼女の代表作『黄色い本』を読んだ直後に、この本を買ってきて読んだのだったが、
その時には『黄色い本』の印象が強く残っていて、期待ハズレというか、拍子抜けしてしまい、
論評しないまま書棚にしまいこんであった。
今回、『絶対安全剃刀』と『おともだち』と順々に読んできて、高野さんの作品の『黄色い本』とは別の
魅力に気がついて、批評を書きたくなった。
この本には6篇の作品を収めてあるが、日本マンガの主流である少年、少女マンガ、劇画やギャグマンガ
などのどのジャンルにも分類できない、独特な「小世界」である。
物語が読みたいマンガファンには、高野作品は退屈だろう。
なぜなら、極端な物言いをすれば、そこには高野さんの感性が画像化されているだけといった「小世界」
があって、高野的感性の繊細な、微妙な面白さに気がつかなければ、退屈してもやむを得ないからだ。
6篇のうち、もっとも端的にそうした微妙な特徴をそなえた作品は「バスで四時に」だろう。
しかし、順を追って、「美しき町」「病気になったトモコさん」「バスで四時に」と
「奥村さんのお茄子」の4篇を紹介しよう。
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「美しき町」は地方都市の町はずれにある、工場とそこで働く工員たちの日常生活を淡々と
描いたもの。昭和でいえば、40年代末ごろから50年代初め頃ではないか。工場を中心に
町がつくられ、工場近くに社員寮がつくられる。見合い結婚した若い夫婦は、堅実な生活を
ごく当たり前に営んでいる。休日には近くの山林を散策し、沢を渡り、裏山に登る。
それだけの楽しみで、夫婦生活は円満である。夜は、かれらの部屋が労働組合の会合場所になる。
狭い部屋にカーテンで仕切りをつくって、そのかげで妻は家計簿をつける。
隣室の組合役員からは、ちょとした意地悪をされたりするが、夫婦は気にすることなく徹夜で
組合活動のチラシを印刷する。
そして、ごらんのような町と社員寮には、今夜も平凡な夜の時間が訪れる。
物語を説明すると、こんなもの。
つまり、ストーリーではなく、たとえば小津安二郎の映画がカットを多用しながら時間経過を刻む、
あの手法で、市民の日常という「小世界」をていねいに描いてゆく。
ドラマはない。しかし、平凡なわれわれ大多数の市民の暮らしとは、そうしたものなのだ。
それでも生きることには、ささやかな誇りと喜びとがある。