池上線歌詞論争
『池上線』は西島三重子さんが自ら作曲して歌った昭和51年のヒット曲です。
記事のタイトルが「池上線歌詞論争」となっているワケを説明します。
最近わくわく亭の女房がこの曲をおぼえようとしていました。
ともだちとカラオケで遊ぶときの新たなレパートリーに加えようというのでした。
まだ本気でおぼえたのではなく、歌詞もうろおぼえで口ずさんでいました。
どこからか借りたきたらしいCDを聞いていました。
歌詞は2番まであります。
1,2番とも歌詞の終わりのフレーズはつぎの通りです。
池上線が走る町に あなたは 二度と来ないのね 池上線に揺られながら 今日も ●る私なの
わくわく亭の女房は●のところを、「耐える」と歌っています。
つまり、恋人が去ってしまった町に、池上線の電車に揺られながら、今日も耐えながら生活
している私なの、と歌っているのです。
それを聞いていて、それでは詩が自然じゃない、恋人が去ったあとのむなしさが残る町に、
それでも今日も勤めが終わると帰って行く私なの、とつくるはずで、●は「帰る」ではないか、
とわくわく亭はいったのです。
「あなたは女の心理がわかっていません。恋人が去って淋しさに耐えながらも、今日もひとり
暮らしている、と歌っているに決まってます」
「それでは説明しすぎで詩としてつまらない。耐えていることは解っているのであって、それを
言葉にしないで、電車で帰っているというだけで、女の孤独感がにじみでるものだ」
はてさて、ともに譲らない。
「わたしは1万円かけます。絶対の自信があるわ」と女房。
「いや、賭はしない」お金が掛かると逃げ腰になる亭主。
それにCDをまたきいていると、「今日も 耐える私なの」と歌っているようにも聞こえるのです。
さて、その結末はいかに。
女房はカラオケに行ったらしく、そこで画面ではっきりと「今日も 帰る私なの」という歌詞を
みて歌ったらしい。
その夜、
「あなたはやっぱり作家です。帰る私なの、が正しかった。でも、あなたは賭け事に弱い。
お金が掛けられると自信がないから逃げてしまう。あ~あ、1万円助かった」
というのが「池上線歌詞論争」のおそまつです。
YOUTUBEから転載した西島三重子さんの(失礼ながらデビューのころより、かなり熟年に
おなりです)「池上線」を聞いてみてください。
画面に歌詞が流れていますが、それを見ないで聞いてみると、
やはり「今日も 耐える私なの」とも聞こえる気がします。
いかがでしょうか?