池上線歌詞論争

http://www.youtube.com/v/EtbamP3Ve-U&hl=ja&fs=1


『池上線』は西島三重子さんが自ら作曲して歌った昭和51年のヒット曲です。

記事のタイトルが「池上線歌詞論争」となっているワケを説明します。

最近わくわく亭の女房がこの曲をおぼえようとしていました。

ともだちとカラオケで遊ぶときの新たなレパートリーに加えようというのでした。

まだ本気でおぼえたのではなく、歌詞もうろおぼえで口ずさんでいました。

どこからか借りたきたらしいCDを聞いていました。

歌詞は2番まであります。

1,2番とも歌詞の終わりのフレーズはつぎの通りです。

    池上線が走る町に
  あなたは 二度と来ないのね
  池上線に揺られながら
  今日も ●る私なの

わくわく亭の女房は●のところを、「耐える」と歌っています。

つまり、恋人が去ってしまった町に、池上線の電車に揺られながら、今日も耐えながら生活

している私なの、と歌っているのです。

それを聞いていて、それでは詩が自然じゃない、恋人が去ったあとのむなしさが残る町に、

それでも今日も勤めが終わると帰って行く私なの、とつくるはずで、●は「帰る」ではないか、

とわくわく亭はいったのです。

「あなたは女の心理がわかっていません。恋人が去って淋しさに耐えながらも、今日もひとり

暮らしている、と歌っているに決まってます」

「それでは説明しすぎで詩としてつまらない。耐えていることは解っているのであって、それを

言葉にしないで、電車で帰っているというだけで、女の孤独感がにじみでるものだ」

はてさて、ともに譲らない。

「わたしは1万円かけます。絶対の自信があるわ」と女房。

「いや、賭はしない」お金が掛かると逃げ腰になる亭主。

それにCDをまたきいていると、「今日も 耐える私なの」と歌っているようにも聞こえるのです。

さて、その結末はいかに。

女房はカラオケに行ったらしく、そこで画面ではっきりと「今日も 帰る私なの」という歌詞を

みて歌ったらしい。

その夜、

「あなたはやっぱり作家です。帰る私なの、が正しかった。でも、あなたは賭け事に弱い。

お金が掛けられると自信がないから逃げてしまう。あ~あ、1万円助かった」

というのが「池上線歌詞論争」のおそまつです。

YOUTUBEから転載した西島三重子さんの(失礼ながらデビューのころより、かなり熟年に

おなりです)「池上線」を聞いてみてください。

画面に歌詞が流れていますが、それを見ないで聞いてみると、

やはり「今日も 耐える私なの」とも聞こえる気がします。

いかがでしょうか?