魯山人の店
北大路魯山人が36歳で、中村竹四郎と東京の京橋南鞘町に古美術の店舗を開業したのは
1919(大正8)年だった。
店の名前は「大雅堂美術店」である。
その店の二階で会員制の割烹「美食倶楽部」をはじめたのが、2年後の大正10年。
美術商の商品である古陶器を使って供する、魯山人の手料理が評判を呼ぶ。
しかし大正12年の関東大震災で店は焼失してしまう。
料理、食器、服装など斬新で卓抜な演出により、政財界人の交歓にもってこいの美食道場として
人気を呼ぶことになる。
さらに「星岡窯」を築いて陶器を焼く。
それからの北大路魯山人の活躍については、ここで述べるもおこがましい。
きのうの午後、京橋骨董通りを散歩していて、美術商「加島美術」の表でちいさなパンフレット
をもらった。
そこに、いま加島美術が立っている場所に、かつて魯山人が開業した「大雅堂美術店」があった、と
写真付きで説明があった。
ということは加島美術のある現在の中央区京橋2-9-9は、大正12年当時
「京橋南鞘町」だったということだ。
そうか、ここで、80数年前、北大路魯山人は「美食倶楽部」を開いていたのか。
わくわく亭はちょっとした感慨を胸に、この写真を撮ったというしだい。
トップの写真は京橋で開業当時の「大雅堂」である。(加島美術のパンフから)