魯山人の店

イメージ 1


北大路魯山人が36歳で、中村竹四郎と東京の京橋南鞘町に古美術の店舗を開業したのは

1919(大正8)年だった。

店の名前は「大雅堂美術店」である。

その店の二階で会員制の割烹「美食倶楽部」をはじめたのが、2年後の大正10年。

美術商の商品である古陶器を使って供する、魯山人の手料理が評判を呼ぶ。

しかし大正12年の関東大震災で店は焼失してしまう。

大正14年になると、場所を赤坂山王台日枝神社近辺に移して、「星岡茶寮」を開業する。

料理、食器、服装など斬新で卓抜な演出により、政財界人の交歓にもってこいの美食道場として

人気を呼ぶことになる。

さらに「星岡窯」を築いて陶器を焼く。

同年12月に初めての個展「魯山人習作第一回展」を星岡茶寮において開催した。

それからの北大路魯山人の活躍については、ここで述べるもおこがましい。



イメージ 2


きのうの午後、京橋骨董通りを散歩していて、美術商「加島美術」の表でちいさなパンフレット

をもらった。

そこに、いま加島美術が立っている場所に、かつて魯山人が開業した「大雅堂美術店」があった、と

写真付きで説明があった。

ということは加島美術のある現在の中央区京橋2-9-9は、大正12年当時

「京橋南鞘町」だったということだ。

そうか、ここで、80数年前、北大路魯山人は「美食倶楽部」を開いていたのか。

わくわく亭はちょっとした感慨を胸に、この写真を撮ったというしだい。

トップの写真は京橋で開業当時の「大雅堂」である。(加島美術のパンフから)