幕末・篤姫の時代
わくわく亭はテレビのドラマはNHKでも民放でも、ほとんど見ていません。
ケーブルテレビでは洋画とFOXテレビの「アメリカン・アイドル」。
チ)。
かなり偏っています。
NHKドラマがまだ始まって間がない頃でした。
それが6ヶ月経ち、人気ドラマとなって、平均視聴率が23・4%ですって。
意外や意外です。これまで、幕末物は人気がなかったからです。
その記事に刺激をうけて、パソコンに在庫したままの幕末写真を何枚かUPすることにしました。
幕末ですから、殺伐とした写真がありますが、おゆるしください。
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一枚目は「下関戦争で占拠された長州藩砲台」
長州藩は攘夷を実行するために、下関海峡を通過する外国艦船を砲撃したが、これに対する
兵員5000人をもって、元治元年(1864)長州藩の下関砲台を攻撃した。
日本史でいう「下関戦争」である。
わずか3日の戦闘で、長州側の敗戦。砲台は連合軍によって占拠された。
しかし、この3日間の下関戦争以後、長州は攘夷論から開国論へと藩論を転換し、イギリスと親交を結ぶ
端緒となった。
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二枚目は幕府軍兵士の写真で、洋式の軍装をしている。
下関戦争の後、幕府は長州征伐の兵を送るのであるが、イギリス軍の協力を得て、
洋式の軍隊を養成しようとしていた。その頃の写真らしい。
指揮官だけは上下とも洋装であるが、ほかの兵士は着物に股引をはいて、ベルトに両刀を
差すという、珍妙な軍装である。
さもありなん、といえそうな弱兵ぶり。
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三枚目は、清水清次のさらし首の写真。
1864年、二人のイギリス士官が鎌倉鶴岡八幡宮の前で、攘夷派の武士によって、
殺害されるという事件が発生。
イギリス側によって撮影されたものと思われる。
これらは、いまから140年あまり前の写真です。