萩寺

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庭の萩を写真にして、トップページへ載せてみた。

近頃クセになって駄句をページの飾りにしたりしている。

今日も、下の句を貼りつけた。

「萩寺や南畝の恋の記憶かな」

「南畝の恋」というのはわくわく亭の歴史小説『南畝の恋』のタイトルでもある。

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その小説の中、享和3年陰暦7月27日、江戸の文人である大田南畝狂歌蜀山人)は狂歌仲間たちと

舟で本所龍眼寺へ萩見物にでかける。

舟には南畝が日頃ひいきにしている柳橋の芸者「お益」が一緒だった。

妻を亡くし、吉原から身請けした愛人も亡くし、南畝は当時身辺が淋しい身の上だった。

この年、お益を知ってから、彼女に惚れていた。

しかし、芸者を妾にしてすることは憚りがあった。松平定信の寛政改革から後、周辺の南畝を見る目に

はキビシイものがあった。

そうした中での、お益をともなった萩寺への仲間たちとの舟遊びの一日だった。

舟は大川を上り、竪川から横十間川北へ。

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亀戸天神のある天神橋をくぐったところで、舟縁から小便をしようとして、酔った南畝は川に落ちた。

さいわい川は浅かったから大事に至らなかったが、着物が濡れてしまう。

お益が、実家が近いからと、舟を下りて、家から男物の着替えをとってきて、南畝に着せる。

濡れた着物は舟の屋根にひろげて干した。

ようやく、舟は龍眼寺をめざして、棹をあげる。

萩で有名な龍眼寺は『江戸名所図会』にも出ています。

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南畝は萩寺でつぎのような歌をよんだ。

いもが手をとりつつゆけば真萩原 まそでに露のふる寺の庭


「いもが手をとりつつ」とはお益の手をとって、萩寺の庭をそぞろ歩いた南畝の姿であろう。

南畝とお益の恋は、南畝の長崎奉行所への一年間の出役によって終焉となる。



物語は、南畝の日記をもとに書かれたもの。

わが家の萩から、萩寺のシーンを思いだした僕わくわく亭の句が、これなのです。

萩寺や南畝の恋の記憶かな