萩寺
庭の萩を写真にして、トップページへ載せてみた。
近頃クセになって駄句をページの飾りにしたりしている。
今日も、下の句を貼りつけた。
「萩寺や南畝の恋の記憶かな」
「南畝の恋」というのはわくわく亭の歴史小説『南畝の恋』のタイトルでもある。
舟で本所龍眼寺へ萩見物にでかける。
舟には南畝が日頃ひいきにしている柳橋の芸者「お益」が一緒だった。
妻を亡くし、吉原から身請けした愛人も亡くし、南畝は当時身辺が淋しい身の上だった。
この年、お益を知ってから、彼女に惚れていた。
しかし、芸者を妾にしてすることは憚りがあった。松平定信の寛政改革から後、周辺の南畝を見る目に
はキビシイものがあった。
そうした中での、お益をともなった萩寺への仲間たちとの舟遊びの一日だった。
亀戸天神のある天神橋をくぐったところで、舟縁から小便をしようとして、酔った南畝は川に落ちた。
さいわい川は浅かったから大事に至らなかったが、着物が濡れてしまう。
お益が、実家が近いからと、舟を下りて、家から男物の着替えをとってきて、南畝に着せる。
濡れた着物は舟の屋根にひろげて干した。
ようやく、舟は龍眼寺をめざして、棹をあげる。
萩で有名な龍眼寺は『江戸名所図会』にも出ています。
南畝は萩寺でつぎのような歌をよんだ。
「いもが手をとりつつ」とはお益の手をとって、萩寺の庭をそぞろ歩いた南畝の姿であろう。
南畝とお益の恋は、南畝の長崎奉行所への一年間の出役によって終焉となる。
物語は、南畝の日記をもとに書かれたもの。
わが家の萩から、萩寺のシーンを思いだした僕わくわく亭の句が、これなのです。