『百日紅』(7)お栄の家族写真
お栄ちゃんの実母と家族を、エピソード其の4「木瓜(ぼけ)」が紹介しています。
其の15「春浅し」ではお栄の実弟で御家人の加瀬家に養子にはいっている多吉郎が紹介される。
そして、其の28「野分」で妹お猶(なお)が登場するが、野分にさらわれたように幼くして病死してしまう。
その母と弟と妹の家族写真をUPしました。
【画像1】
お栄の実母であり、北斎の後妻が「木瓜(ぼけ)」に登場して、名前を〈川村こと女〉と杉浦日向子さんはつけている。
彼女の姿かたちで思い出すのが、『百日紅』(5)にUPした露木氏の亀沢町でのスケッチ。50歳代のお栄ちゃんによく似ているよね。
杉浦さんは〈川村こと〉と名をつけているが、実際は彼女の名前は不詳らしい。「不詳です」と書いては物語にならないから、そう名づけたものでしょう。
川村の名は、じつは北斎の墓に彫られている名です。
というのは、飯島虚心の『北斎伝』によると、北斎の父親は中島伊勢という、徳川家ご用達の鏡師だったが、一説では川村氏の生まれで、中島氏の養子になったものともいわれている。
ですから、そのあたりの事情から、杉浦さんは「川村」の名をもってきて、後妻につけたのでしょうね。
北斎は先妻(その女の名前も不詳)との間に一男二女をもうけている。
死んだか離別したかも不明。
やがて後妻をむかえて、彼女との間にも一男二女を生む。後妻の生んだ上の娘が、すなわちお栄であり、三女ということになります。
下の娘が四女でお猶(なお)ちゃん。四女は早世したもようで、詳しいことはなにも伝わっていない。
画像で、後妻が「多吉郎に会ったかい」とお栄に尋ねている。それが彼女が生んだ男の子で、北斎の
次男にあたる。
そのすこし前のシーンで、後妻がお栄に「こないだ美与さんが孝坊をつれて来て…」と語っているが、先妻が生んだ北斎の長女で、お美与。北斎の門人である柳川重信(鈴木重兵衛)と嫁いだものの、夫婦仲がうまくゆかず、離婚して実家に戻って死んでいる。
先妻が生んだ北斎の次女はお鉄という。絵を画いたらしい。幕府ご用達の鏡師のもとに嫁いだようだが、彼女も早世したらしい。
先妻が生んだ長男は、富之助というらしい。鏡師の中島氏(北斎の父方である)を継いだようだが、
「放蕩と無頼」で家を飛び出して、おおきな借金をこしらえては北斎が後始末をさせられたらしい。
【画像2】
エピソード15「春浅し」で、久しぶりに養家から実家に遊びに来た次男多吉郎を、途中まで見送ってやるお栄の絵です。(多吉郎をお栄の弟としてある)
堅物の多吉郎は、まだ童貞らしい。女を教えてやろうと、父北斎と、居候の善次郎が女の子にくどかせるお膳立てをして、失敗するというお話。
この次男は、長男とは違い、ひとかどの人物になったようです。
幕府御家人の加瀬家の養子となって、名前を加瀬崎十郎とあらためます。のちには支配勘定になっている。
(わくわく亭の師であります、大田南畝とおなじ役職だ。いまでいうなら、財務省の係長クラス)
一説では御小人頭から御徒目付になったともいわれ、俳諧を好んで椿岳庵木峨という雅号を持った風流人でもあったらしい。
彼の孫(すなわち北斎には曾孫にあたる)が現存している「画狂老人卍墓」と名づけた北斎の墓を建てた人なのです。
【画像3】
其の28「野分(のわき)」で、盲目の妹であるお猶が病気になって、北斎とお栄が見舞ってやるエピソード。
尼寺から、北斎の後妻の家にもどされて、病床についている妹に、添い寝をしてやるお栄。
死を覚悟している妹が、
「死んだら地獄へ行くよ」というシーンが、あわれです。
つぎの日、北斎の家に突風が吹き込む。
善次郎がその直前に、女の子が家にやってくるのを見たという。
障子が外れるほどの一陣の強風が通り抜けた。
その風が「誰」だったか、お栄ちゃんには分かったので、息せき切って、母の家に駆けつけると、
妹お猶はみまかったところだった。
母が「いっちゃったよ」とお栄ちゃんにひとこと。
『百日紅』(8)へつづく
其の15「春浅し」ではお栄の実弟で御家人の加瀬家に養子にはいっている多吉郎が紹介される。
そして、其の28「野分」で妹お猶(なお)が登場するが、野分にさらわれたように幼くして病死してしまう。
その母と弟と妹の家族写真をUPしました。
【画像1】
お栄の実母であり、北斎の後妻が「木瓜(ぼけ)」に登場して、名前を〈川村こと女〉と杉浦日向子さんはつけている。
彼女の姿かたちで思い出すのが、『百日紅』(5)にUPした露木氏の亀沢町でのスケッチ。50歳代のお栄ちゃんによく似ているよね。
杉浦さんは〈川村こと〉と名をつけているが、実際は彼女の名前は不詳らしい。「不詳です」と書いては物語にならないから、そう名づけたものでしょう。
川村の名は、じつは北斎の墓に彫られている名です。
というのは、飯島虚心の『北斎伝』によると、北斎の父親は中島伊勢という、徳川家ご用達の鏡師だったが、一説では川村氏の生まれで、中島氏の養子になったものともいわれている。
ですから、そのあたりの事情から、杉浦さんは「川村」の名をもってきて、後妻につけたのでしょうね。
北斎は先妻(その女の名前も不詳)との間に一男二女をもうけている。
死んだか離別したかも不明。
やがて後妻をむかえて、彼女との間にも一男二女を生む。後妻の生んだ上の娘が、すなわちお栄であり、三女ということになります。
下の娘が四女でお猶(なお)ちゃん。四女は早世したもようで、詳しいことはなにも伝わっていない。
画像で、後妻が「多吉郎に会ったかい」とお栄に尋ねている。それが彼女が生んだ男の子で、北斎の
次男にあたる。
そのすこし前のシーンで、後妻がお栄に「こないだ美与さんが孝坊をつれて来て…」と語っているが、先妻が生んだ北斎の長女で、お美与。北斎の門人である柳川重信(鈴木重兵衛)と嫁いだものの、夫婦仲がうまくゆかず、離婚して実家に戻って死んでいる。
先妻が生んだ北斎の次女はお鉄という。絵を画いたらしい。幕府ご用達の鏡師のもとに嫁いだようだが、彼女も早世したらしい。
先妻が生んだ長男は、富之助というらしい。鏡師の中島氏(北斎の父方である)を継いだようだが、
「放蕩と無頼」で家を飛び出して、おおきな借金をこしらえては北斎が後始末をさせられたらしい。
【画像2】
エピソード15「春浅し」で、久しぶりに養家から実家に遊びに来た次男多吉郎を、途中まで見送ってやるお栄の絵です。(多吉郎をお栄の弟としてある)
堅物の多吉郎は、まだ童貞らしい。女を教えてやろうと、父北斎と、居候の善次郎が女の子にくどかせるお膳立てをして、失敗するというお話。
この次男は、長男とは違い、ひとかどの人物になったようです。
幕府御家人の加瀬家の養子となって、名前を加瀬崎十郎とあらためます。のちには支配勘定になっている。
(わくわく亭の師であります、大田南畝とおなじ役職だ。いまでいうなら、財務省の係長クラス)
一説では御小人頭から御徒目付になったともいわれ、俳諧を好んで椿岳庵木峨という雅号を持った風流人でもあったらしい。
彼の孫(すなわち北斎には曾孫にあたる)が現存している「画狂老人卍墓」と名づけた北斎の墓を建てた人なのです。
【画像3】
其の28「野分(のわき)」で、盲目の妹であるお猶が病気になって、北斎とお栄が見舞ってやるエピソード。
尼寺から、北斎の後妻の家にもどされて、病床についている妹に、添い寝をしてやるお栄。
死を覚悟している妹が、
「死んだら地獄へ行くよ」というシーンが、あわれです。
つぎの日、北斎の家に突風が吹き込む。
善次郎がその直前に、女の子が家にやってくるのを見たという。
障子が外れるほどの一陣の強風が通り抜けた。
その風が「誰」だったか、お栄ちゃんには分かったので、息せき切って、母の家に駆けつけると、
妹お猶はみまかったところだった。
母が「いっちゃったよ」とお栄ちゃんにひとこと。
『百日紅』(8)へつづく