住吉大社(2)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

 住吉大社は古い神社です。

 伝説時代の仲哀天皇9年(西暦200年),神功皇后三韓征伐(このあたりの伝説については異論も多いのは承知していますが、神社側の由緒をつかいます)より帰還したとき、土地の豪族の田裳見宿禰
海の神である住吉三神を祀ったのがはじまりとされています。

 その後、神功皇后も祀られて、四つの本宮が建てられています。これを総称して住吉大神というらしい。4つの本宮はすべて国宝となっている。

 日本昔話のスターのひとり、一寸法師のお話は、この住吉大社に縁があるのです。

 子宝に恵まれなかった初老の夫婦が、子供がさずかるようにと祈願したところ、小さな男の子がさずかった。名付けて一寸法師。その子は、住吉津から細江川をくだり、大阪湾に出て、淀川を上って京都へと向かうという物語です。

 たくさんの伝説や物語につつまれている住吉大社ですが、歴史的な建造物、事実もまた多いのです。

 写真説明 1.および2.
 太鼓橋(または反橋=そりばし)は慶長年間に、淀殿が寄進したものです。
 木製の部分は建て替えられていますが、石造りの橋脚は創建当時のままだということです。
 豊臣家の信仰が篤かったのでしょう。

 写真説明 3.
 第四本宮。神功皇后が祀られている。淀殿。秀頼母子は、徳川家康に不信を抱いていたから、
 武勲の誉れ高い神功皇后に、豊臣家の安泰を祈願したのではないでしょうかね。

 写真説明 4.
 第三本宮。参拝の人が絶えません。

 写真説明 5.
 第二本宮。神前結婚式の最中でした。国宝の神殿をつかっての結婚式って、ほこらしいだろうが、
 費用も並々ではありますまい。

 写真説明 6.
 第一本宮。 ここでも神前結婚式。いい日だったのだろう。

 写真説明 7.
 石舞台。卯の葉神事に優美な雅楽が演じられる石舞台です。雅楽を演奏する回廊は豊臣秀頼公が
 寄進したものです。淀殿、秀頼公と母子ともども住吉さんへの信仰が篤かったようですね。


             あと一回 住吉大社(3)へつづきます。