『百日紅』(3)
すこし逆戻りします。
『百日紅』(2)でこんなことを書きました。
お話の其の1から其の4までの口絵はお栄の枕絵の模写だと思われるのに、杉浦さんは元の絵の作者名も絵の題名も書いていないと。なぜだろうかと。
その理由が分かった気がしています。
わくわく亭が所持する『浮世絵の極み 春画』(林美一著 1988年)では、『絵本つひの雛形』大錦12枚組物は明確に葛飾應為(お栄のこと)の代表作と認められていました。
ところが、近年の春画集では、たとえば『別冊太陽 春画』(2006年)では北斎作としてあります。
つまり、應為の署名、落款がないものは、たとえ人物の描き方の特徴からお栄の描いたものと判ってはいても、時代がうつれば、北斎の作品として編集されるという事態になるってことです。
そんなこともあって、杉浦さんは、お栄の作品を模写しても、北斎娘お栄とも、應為とも北斎とも記さないよう配慮したと思われるのです。
其の3「恋」で、北斎がお栄の枕絵にケチをつけるシーンがあります。お栄ちゃんは頭のきたから銭湯に行ってしまう。
すると、北斎は「あのバカ…知りもしねえくせに描くからボロを出す」ときつい批評をするのです。
そのシーンに杉浦さんが引用してくる絵が、上にのべた『絵本つひの雛形』です。お栄の作品として
北斎に批評させているわけです。
それを原画(上半身のみ。下半身は省略します)とくらべてみてください。
ところで、お栄ちゃんは「あのバカ…知りもしねえくせに描くから」と北斎にケチをつけられたのですが、『百日紅』のお栄ちゃんは生娘っぽく描かれていますが、生娘では枕絵は描けません。
しかし、このマンガの魅力は男っぽい口の利き方をする、まだ女になりきっていないお栄ちゃんのかわいらしさにあります。
さっきの、其の3「恋」で銭湯に行くと、北斎の女弟子葛飾北明(彼女はみごとに成熟した裸身をみせる。北斎のイロでもあるらしい)から、「お栄ちゃん、小娘そのまンまの体なんだねぇ」といわれるくらいに、スリムである。
表題に「恋」とあるのは、お栄がひそかに北斎門下の初五郎(魚屋北渓)に思いをよせているからです。
いましも、銭湯を出てくると、初五郎の姿を見る。女弟子のお政(北明)も彼に「ほ」の字だから、駆け寄っていく。すると、お栄はすっと二人のまえから姿を消すという純情さ。
このあたりが、小娘なんだか、枕絵を描く大人の女なんだか、中途半端にゆれている、そうしたところが、『百日紅』のお栄ちゃんのいじらしいところ。
ところが、じっさいのお栄は、南沢等明という絵師にとついでいます。
まんざら夫婦生活に無知ではないのです。
お栄の離婚の原因は、飯島虚心の『葛飾北斎伝』ではつぎのように伝えています。
1.お栄の生活のスタイルが北斎そっくりなもので、それでは夫婦仲がむつまじくいかないのは、
「うべならずや」といいます。
2.等明は等琳の門下の絵師だったのですが、お栄より下手だったらしい。それで、お栄がつねに
亭主の絵のつたないところを指摘して、笑うものだから、それで離婚された。
3.お栄は父のもとに出戻りとなって、その後は再婚はしなかった。應為と号をつけて、北斎の画業を
助けます。もっとも美人画に長じて、美人画では父北斎に優るところがあった。
北斎は「余の美人画は、お栄に及ばざるなり。お栄は巧妙に描きて、よく画法にかなえり」と、
他人には大層ほめていたということです。
北斎だって、父親だからねえ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
エピソード其の3「恋」を取り上げたのだから、ことのついでに、お栄ちゃんが思いを寄せている
初五郎について書いておこう。初五郎は実在の人物です。
(わくわく亭の性格で、ひとつことを書き始めると止まらなくなるのです。)
○魚屋北渓(ととや ほっけい)のこと。
岩窪初五郎、画名を魚屋北渓とつけたのは、実家が魚屋だったからです。魚屋を営みながら
絵画をよくする。はじめ狩野派を、のちに北斎について画風を学び、北斎門のNO.1の
高弟と称される。
絵画ばかりではなく、学問もした人で、蔵書が数千巻あったというから、ひとかどの教養人
だったらしい。
魚屋も松平志州侯の御用達だったそうで、実家は裕福だったとみえ、貧乏世帯の魚屋さんでは
ないのです。
杉浦日向子さんの『百日紅』に出てくる初五郎が羽織を着た、きちんとした身なりで、いつもにこ
やかに鷹揚な人物に描かれているのは、よく実際の特徴をとらえています。
江戸千駄ヶ谷の立法寺に碑がつくられたそうです。(いまは移転して杉並区和田)
その碑に「一生修行し、忠信篤敬の四字に愧じることは無かった」とあるから、
お栄ちゃんと、浮気をするような軟派じゃなかったようです。
居候をしている渓斎英泉とは、およそ正反対の人物ですよ。
北渓の辞世の歌が、その碑にきざまれているそうな。
あつくなく さむくなく又 うゑもせず
うきことしらぬ身こそやすけれ
なんとも、しあわせなお人だったようで、北斎の娘お栄ちゃんが片思いに終わっても
仕方なかった相手のようです。
○葛飾北明(ほくめい)
北斎の女弟子として登場している井上政女。グラマーな28歳の独り者。
北斎先生の愛人でもある。
エピソード其の8「女弟子」では、かわいそうに出前にきた肴屋に強姦されるのだが、
肴屋を狂気させるほど、フェロモンが匂い立つようなエロティックな女に描かれています。
杉浦さんはお栄と、このお政の2人を対照的に描きながら、杉浦日向子がもっていた
女としての、好きだった両面を表現したものと解釈したいですね。
ところで、北明ですが、北斎のたくさんの弟子のなかに、その名前はあって、
北明は実在したのです。
ただし、名前だけがあって、男であるともおんなであるとも、なにひとつ資料はありません。
飯島虚心の『葛飾北斎伝』にただ一行、こうあります。
「葛飾北明 江戸の人。姓氏詳ならず」
たった、この一行から、杉浦日向子さんは「井上政女」を生み出したわけです。さすが。
『百日紅』(4)へつづく
『百日紅』(2)でこんなことを書きました。
お話の其の1から其の4までの口絵はお栄の枕絵の模写だと思われるのに、杉浦さんは元の絵の作者名も絵の題名も書いていないと。なぜだろうかと。
その理由が分かった気がしています。
わくわく亭が所持する『浮世絵の極み 春画』(林美一著 1988年)では、『絵本つひの雛形』大錦12枚組物は明確に葛飾應為(お栄のこと)の代表作と認められていました。
ところが、近年の春画集では、たとえば『別冊太陽 春画』(2006年)では北斎作としてあります。
つまり、應為の署名、落款がないものは、たとえ人物の描き方の特徴からお栄の描いたものと判ってはいても、時代がうつれば、北斎の作品として編集されるという事態になるってことです。
そんなこともあって、杉浦さんは、お栄の作品を模写しても、北斎娘お栄とも、應為とも北斎とも記さないよう配慮したと思われるのです。
其の3「恋」で、北斎がお栄の枕絵にケチをつけるシーンがあります。お栄ちゃんは頭のきたから銭湯に行ってしまう。
すると、北斎は「あのバカ…知りもしねえくせに描くからボロを出す」ときつい批評をするのです。
そのシーンに杉浦さんが引用してくる絵が、上にのべた『絵本つひの雛形』です。お栄の作品として
北斎に批評させているわけです。
それを原画(上半身のみ。下半身は省略します)とくらべてみてください。
ところで、お栄ちゃんは「あのバカ…知りもしねえくせに描くから」と北斎にケチをつけられたのですが、『百日紅』のお栄ちゃんは生娘っぽく描かれていますが、生娘では枕絵は描けません。
しかし、このマンガの魅力は男っぽい口の利き方をする、まだ女になりきっていないお栄ちゃんのかわいらしさにあります。
さっきの、其の3「恋」で銭湯に行くと、北斎の女弟子葛飾北明(彼女はみごとに成熟した裸身をみせる。北斎のイロでもあるらしい)から、「お栄ちゃん、小娘そのまンまの体なんだねぇ」といわれるくらいに、スリムである。
表題に「恋」とあるのは、お栄がひそかに北斎門下の初五郎(魚屋北渓)に思いをよせているからです。
いましも、銭湯を出てくると、初五郎の姿を見る。女弟子のお政(北明)も彼に「ほ」の字だから、駆け寄っていく。すると、お栄はすっと二人のまえから姿を消すという純情さ。
このあたりが、小娘なんだか、枕絵を描く大人の女なんだか、中途半端にゆれている、そうしたところが、『百日紅』のお栄ちゃんのいじらしいところ。
ところが、じっさいのお栄は、南沢等明という絵師にとついでいます。
まんざら夫婦生活に無知ではないのです。
お栄の離婚の原因は、飯島虚心の『葛飾北斎伝』ではつぎのように伝えています。
1.お栄の生活のスタイルが北斎そっくりなもので、それでは夫婦仲がむつまじくいかないのは、
「うべならずや」といいます。
2.等明は等琳の門下の絵師だったのですが、お栄より下手だったらしい。それで、お栄がつねに
亭主の絵のつたないところを指摘して、笑うものだから、それで離婚された。
3.お栄は父のもとに出戻りとなって、その後は再婚はしなかった。應為と号をつけて、北斎の画業を
助けます。もっとも美人画に長じて、美人画では父北斎に優るところがあった。
北斎は「余の美人画は、お栄に及ばざるなり。お栄は巧妙に描きて、よく画法にかなえり」と、
他人には大層ほめていたということです。
北斎だって、父親だからねえ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
エピソード其の3「恋」を取り上げたのだから、ことのついでに、お栄ちゃんが思いを寄せている
初五郎について書いておこう。初五郎は実在の人物です。
(わくわく亭の性格で、ひとつことを書き始めると止まらなくなるのです。)
○魚屋北渓(ととや ほっけい)のこと。
岩窪初五郎、画名を魚屋北渓とつけたのは、実家が魚屋だったからです。魚屋を営みながら
絵画をよくする。はじめ狩野派を、のちに北斎について画風を学び、北斎門のNO.1の
高弟と称される。
絵画ばかりではなく、学問もした人で、蔵書が数千巻あったというから、ひとかどの教養人
だったらしい。
魚屋も松平志州侯の御用達だったそうで、実家は裕福だったとみえ、貧乏世帯の魚屋さんでは
ないのです。
杉浦日向子さんの『百日紅』に出てくる初五郎が羽織を着た、きちんとした身なりで、いつもにこ
やかに鷹揚な人物に描かれているのは、よく実際の特徴をとらえています。
江戸千駄ヶ谷の立法寺に碑がつくられたそうです。(いまは移転して杉並区和田)
その碑に「一生修行し、忠信篤敬の四字に愧じることは無かった」とあるから、
お栄ちゃんと、浮気をするような軟派じゃなかったようです。
居候をしている渓斎英泉とは、およそ正反対の人物ですよ。
北渓の辞世の歌が、その碑にきざまれているそうな。
あつくなく さむくなく又 うゑもせず
うきことしらぬ身こそやすけれ
なんとも、しあわせなお人だったようで、北斎の娘お栄ちゃんが片思いに終わっても
仕方なかった相手のようです。
○葛飾北明(ほくめい)
北斎の女弟子として登場している井上政女。グラマーな28歳の独り者。
北斎先生の愛人でもある。
エピソード其の8「女弟子」では、かわいそうに出前にきた肴屋に強姦されるのだが、
肴屋を狂気させるほど、フェロモンが匂い立つようなエロティックな女に描かれています。
杉浦さんはお栄と、このお政の2人を対照的に描きながら、杉浦日向子がもっていた
女としての、好きだった両面を表現したものと解釈したいですね。
ところで、北明ですが、北斎のたくさんの弟子のなかに、その名前はあって、
北明は実在したのです。
ただし、名前だけがあって、男であるともおんなであるとも、なにひとつ資料はありません。
飯島虚心の『葛飾北斎伝』にただ一行、こうあります。
「葛飾北明 江戸の人。姓氏詳ならず」
たった、この一行から、杉浦日向子さんは「井上政女」を生み出したわけです。さすが。
『百日紅』(4)へつづく