片岡球子(4)「北斎の娘おゑい」

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 片岡球子(たまこ)さんの『面構 北斎の娘おゑい』(昭和57年)はすでに、この書庫でおなじみの「面構」(つらがまえ)シリーズの一枚です。

 わくわく亭は、別の書庫「杉浦日向子の部屋」において、丁度いま『百日紅』をとりあげ、杉浦日向子さんによる葛飾北斎の三女お栄をクローズアップしているところであります。

 そこで片岡画伯の描く「面構え」をモチーフとした江戸の浮世絵師お栄と、平成の浮世絵師であった杉浦さんが自画像のように愛情こめて画いたお栄ちゃんを、2枚ならべて比較するのも楽しかろうと、かようにUPしたというしだいです。



 北斎の伝記を読めば、掃除もしない、着替えも洗濯もせず、飯茶碗さえなかったという貧窮世帯(それには理由がありますが)で、絵を画くことにしか関心がなかったという、奇人というべき北斎と同居して、北斎が90歳で死ぬまでそばにおり、葬式も出した娘お栄。その暮らしぶりから想像すれば、杉浦さんのお栄の方がリアリティーがあるといえます。

 やぶれ障子と紙の散らかった部屋で、ひとえものを着て耳の掃除をしている図は、裏長屋の貧乏絵師の図としてリアルです。
 そしてまた、見るものに、どこか身近にいて、喜び悲しみが通じあえるといったような親近感を漂わせた「お栄ちゃん}です。
 



 しかし、片岡作品はもともとリアリティーはもとめていないのです。「面構え」すなわち面魂(つらだましい)という人間の内面、精神の姿を画像にしようとのこころみです。

 「おゑい」は強烈な存在感をもって見るものに迫ります。

 そこでは、豪華な衣装はお栄の、絵師としての矜持の高さが表現されており、その迫力ある顔と、鋭い目は、真実を描いて欺瞞を許さないとする芸術家の「精神」が描かれています。

 かんがえてみても、浮世絵界の大巨人である北斎のそばにいたなら、たいていは絵師として潰れてしまうでしょう。偉大な父親とおなじ道を歩んだ、ほとんどの二代目の芸術家は挫折しています。

 ところが、お栄は当時の浮世絵師、とくに春画である枕絵師としては、葛飾応為(おうい)の名前で
堂々たるプロでした。おまけに女流でありながらですよ、高い画料で画いた売れっ子の浮世絵師の一人だったのです。
 ちなみに、応為の名前ですが、北斎は娘を呼ぶときには、アゴという渾名でよぶか、オーイという(お茶を欲しがるような)呼び方しかしなかったので、それをシャレてお栄が自分でつけたというのが、まずは定説です。


 【この説の出所は、北斎の一級資料とされる飯島虚心著『葛飾北斎伝』です。明治からこちら、チマタで語られてきた奇人変人ぶりの北斎エピソードのほとんどが、この書物から出てきたものです。
 くわしくは、「杉浦日向子の部屋」の『百日紅』をごらんください。】


 片岡球子さんがみるところでは、北斎のもとで、女性でありながら枕絵において、みずからの固有の世界を切り開いた浮世絵師お栄の精神は、このような誇り高い画像になってしかるべきものだったのです。

 女流であるからこそ、女流絵師の苦しみと矜持が理解できる、と片岡さんの「北斎の娘おゑい」は物語っているようではありませんか。