1/f ゆらぎ

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 10月2日のブログ『前田陽一遺稿集』(書庫「ときには本の話もね」に収む)で、ガンで倒れた映画監督の前田さんが、書き残したシナリオの一部を紹介したときに、宇宙のリズムに「1/f」のゆらぎがあることを書いた。
 すると、いつも通っている銀座の道で、ごらんのような「1/f」の看板をみつけたので、写真を撮った。この看板はエンゲージ・リングの店のもの。

 この写真をUPするからには、にわか勉強で、もうすこし「1/f」ゆらぎのことを書いておく気になった。その前にと、10月2日のブログから前田さんのシナリオを読み返すと、あわれ、わくわく亭は涙ぐんでしまうのでありました。


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 研究者が定義する「ゆらぎ」というものを、まず読んでみる。

 “ある物理的な量や質が刻々変化するとき、その量や質が平均的には一定の周期、間隔を示しているようにみえますが、正確に測定すると、わずかにズレが生じていることがあります。それは予測できない微妙なズレで、それが「ゆらぎ」なのです。
 自然界にあるすべての現象には変化があり、ズレて、ゆらいでいます。
 星のまたたきは決して等間隔ではないし、打ち寄せる海の波にもズレがあります。
 太陽や星でさえ、すこしずつ、ゆらぎながら軌道運動しており、大体の動きの予測はできても、完璧な予測はできません。岩石だって、温度によって膨張したり、収縮します。

 小川のせせらぎ、そよふく風、木漏れ日、鳥のさえずり、白銀の世界でかがやく陽光、かげろう、などなど、自然界の現象には「ゆらぎ」が満ちています”

 人間の生体リズムにも「ゆらぎ」がある。
 心臓の鼓動や体温の変化、呼吸数にも変化がある。脳波にもズレがある。
 「ゆらぎ」のある人間がつくるのだから、人間のつくるものすべてに「ゆらぎ」がある。
 手拍子、和太鼓の響きには、正確なメトロノームにはみられない「ゆらぎ」がある。
 
 「ゆらぎ」にも種類があるのだが、そのなかで「1/fゆらぎ」が人体の生体リズムと同じなのだ。
 そのため、1/fゆらぎは人間に心地よさなど快適な感覚を与えてくれる。

 手作りのもの、たとえば水墨画、浮世絵、切り絵、織物、染め物、漆器、陶磁器、といったものが懐かしさ、美しさ、優しさ、温かさを感じさせるのは、すべて1/fゆらぎのせいなのだ。

 バッハ、モーツアルトの名曲や日本の歌なども「ゆらぎ」が多いそうだ。
 人間の生体リズムに合った曲は、聞く人の生体リズムに共鳴して、魅了する。しかし1/fゆらぎになっていない現代音楽は、作為が強すぎて、別種の「ゆらぎ」になっているらしい。

 人間がつくったものであっても、機械加工して精密なものにしてしまうと1/fゆらぎは失われてしまう。機械的に大量生産された製品、近代的なビル建築には1/fゆらぎは存在しない。 


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 映画監督の前田陽一さんは、宇宙の誕生がそもそも「ゆらぎ」のせいだという。
 
 宇宙と自然界の「ゆらぎ」で、生命が人間が誕生した。すると、「死」も「ゆらぎ」がもたらしたものであるから、つぎの「誕生」が「ゆらぎ」でもたらされる、とかんがえる。

 シナリオの中で、病死した妻のことを男は幼い息子と語る。「ゆらぎ」で「小鳥に生まれかわった母さんが、遊びにきているかもしれないぜ」という。

 「ゆらぎ」は、わくわく亭を涙させる。

 今朝もラジオに流れていた夏川りみの「なだそうそう」も1/fゆらぎで、わくわく亭を泣かせます。


 わくわく亭が愛読してやまない西橋美保さんの歌集『漂砂鉱床』から、前田さんのシナリオとそっくりな歌があるので、紹介します。             
        

        張り詰めし乳を捨て捨て思へらく 子よ飲みに来よ鬼に抱かれて


        鳥になって生きてゐるかもしれぬ子に ケーキを置きぬ庭の餌台