『青春の逆説』織田作之助

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 わくわく亭は高校のころ織田作之助を読み始めた。その頃、織田作之助は、太宰治坂口安吾と並ぶ
戦後文学の旗手と呼ばれて、文学青年たちの熱いあこがれの的だった。

 大学入学がきまって、大阪の実兄のもとを訪ねて行ったとき、
「はじめての大阪で、どこか行きたいところがあったらつれていくよ」とたずねられた。

 僕は織田作之助にゆかりの場所に行きたかった。

 法善寺横町、道頓堀、お初天神、心斎橋、千日前、と連れていって貰った。

 法善寺横町では、もちろんのこと『夫婦善哉』の店で、あこがれの「ぜんざい」を食べた。

 千日前では「織田作のカレー」を食べた。店内には革ジャンすがたの「織田作」の写真が額にいれて
かざられていた。
 織田作之助のファンは、彼をフルネームで呼ばず、「織田作」と縮めて呼んだものだ。

 「ぜんざい」も「カレー」も小説の中で描かれて、すっかり名物になっていた。

 古本屋で織田作之助の本をさがしまわって、むさぼるようにして読んだ。現代社から新書版サイズで
織田作の作品が出ていた。いまも、わくわく亭の書庫には当時買いあつめた安い本が、そのまま大事に
残されている。


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 今年、それも、つい一月ほども前のこと、織田作之助の代表作『夫婦善哉』の「後編」が存在して
いることが新聞のニュースになった。原稿用紙で数十枚の、未発表原稿が発見されたのである。
 近く、どこかの文芸誌に発表されるらしい。

 そのニュースは、わくわく亭の遠い記憶を刺激した。織田作に夢中だったころの自分を回想した。

 そこで、このクズ本と呼ぶしかない『青春の逆説』である。

 戦後の印刷用紙不足の時代に発行されたものだから、なにしろ紙質が悪い。活字がすり減っているらしく、文字がつぶれている。
 表紙のおそまつなこと。

        『青春の逆説』

        発行所 三島書房 大阪市南区東賑町29
        昭和21年6月20日 発行
        定価 48円

 織田作が「あとがき」を書いた日付が昭和21年5月であるから、発行にあわせて、いそいで書いたものらしい。
 その「あとがき」で、小説の前編「二十歳」は昭和16年2月に、後編の「青春の逆説」が同年6月
にと、別々に出版したところ、後編が発売禁止処分をうけて読者の手に渡らなかったことを無念に思っていたが、戦後となって、言論自由という司令部の指令で、再び世に出ることは、感慨無量である、のべている。

 小説は、強い克己心と野心とをもって、女を踏み台にしつつ、成り上がっていく貧しい青年の物語。
主人公は、フランス作家スタンダールの『赤と黒』の主人公であるジュリアン・ソレルを尊敬しており、
野心を実現する方法を真似ようとする。
 ジュリアンはまたナポレオンを崇拝しており、すぐれた記憶力と美貌を武器に、貧しい田舎の家庭教師
から上層階級へ登って行こうとする。そのために町長夫人を偽りの恋で利用するのである。

 ジュリアンが勇気をふるって、夫人の手を握るために、十時の鐘が鳴ると同時に行おうと決意するのだが、織田作の主人公も又、女の手を握るために100の数を数えて、ひるむ心を叱咤するのである。100と同時に手を握るのだ。

 恥ずかしいことではあるが、なにを隠そう、このわくわく亭も、『赤と黒』のジュリアンの影響(そんなつまらない真似だけ)をうけたことがあったから、『青春の逆説』の「豹一」の気持ちはよく理解できた。
 女性の前で、羞恥心のために気持ちがひるみ、逃げ腰になろうとするとき、「豹一」にならって、数を数えたことがありました。

 この、みごとなクズ本のなかに、好きな女の子の手の握り方のマニュアルが書かれていたのです。

 という秘められた歴史を物語る、わくわく亭の秘本『青春の逆説』です。