『黄色い本』高野文子

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 わくわく亭は文芸書は人並みに読んできましたが、マンガの読書量は、自慢できるほど多くはないのです。

 ですが、手塚治虫文化賞マンガ大賞をもらった作品は見逃さないようにして読んでいます。

 高野文子さんの『黄色い本――ジャック・チボーという名の友人』は、その第7回マンガ大賞を2003年に受賞しています。

 すぐに読んで、これはすぐれたマンガ作家だと知ったから、『棒がいっぽん』も取り寄せて読んだ。
そして、『るきさん』をちくま文庫で。
 これまで数冊マンガ本が出版されているが、どちらかといえば寡作の作家らしい。

 全作読んだわけではないですが、なかでもこの『黄色い本』が彼女の代表作ではないでしょうか。

 とても読後感のすがすがしい物語です。


 サブタイトルがあって、「ジャック・チボーという名の友人」とあるからマルタン・デュ・ガール
の有名な長編小説『チボー家の人々』と関係があると分かります。

 高野さんの絵の特徴を見てもらおうと、冒頭の2ページを掲載しましたが、省略した繊細な線で描かれた絵です。


          ☆   ☆   ☆   ☆


 革命ということばが世界中の若者の魂を揺さぶった時代があった。帝政ロシアレーニンたちの手で
武力革命が成功し、アジアでは中国で、ベトナムで革命政権が樹立。キューバ革命成功とゲバラの死。
 日本であれ、あのアメリカにおいてさえ、革命という言葉は若者を命懸けにさせる魔力をもっていた。

 しかし、革命という熱い炎を最初に世界にもたらした国は、フランスだった。

 フランス革命以後、人間の求める価値の中味が大きく変わった。その精神的価値のために、理想のために、理念のために、人間は、とくに若者は反抗、抵抗して、犠牲となることにまで憬れる時代が到来したのだった。
 そうした精神的運動は、ときに現実を超えて先走ったから、ロマンティシズムとも呼ばれた。

 そうした若者の一人が新潟県の地方都市にもいた。

 少女は実地子(みちこ)という名前の女子高生だった。
 そして、『チボー家の人々』を愛読して物語の主人公であるジャックに同情し、淡い恋心を抱き、ジャックが正義感のままにつきすすんでゆく革命というものにさえ憬れてしまう少女なのだ。

 いまから30年ほど昔、少女には普通の家庭生活があって、ごく普通の女子高生の日常があった。
 そのころに実地子のように本が好きな文学少女は、ほんと、どこにでもいたのです。

 木訥な父と内職する母、弟、叔母から預かっている幼い従妹との5人暮らし。読書好きな彼女は通学バスの中はもちろん、授業中でもかくれて本を読んでいる。夜も眠る時間を惜しんで本を読んでいる。

 それが、黄色の表紙の翻訳本(白水社発行、山田義雄訳)『チボー家の人々』だった。

 日本でもすいぶんと読者の多い本だった。
 どうしてフランス作家って、あんなに大長編が好きなのだろうと首をひねりたくなるほど長いものが多いが、(たとえば、プルーストの『失われた時を求めて』。ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』も長いが、それらと比べれば、まだかわいいものだ。)、この物語もめっぽう長い。

 教派の違うフォンタナン家とチボー家という2つの家の3代にわたる物語で、両家の息子、娘たちの行動と運命を通して、第一次大戦後のフランスの政治、社会、思想状況と時代的苦悩を描く大長編。
 全8部、1922~40まで18年かけて刊行されたもの。

 大金持ちで封建的で、独裁的な父親がチボー家の当主。その父に反抗して家出する次男ジャックは、やがて革命家になるが、1914年に世界大戦が勃発。戦争反対の活動をするジャックはスパイの嫌疑をかけられて、無惨にも殺害される。

 美しい青春と醜悪で悲惨な戦争とを対照的に描き、ノーベル文学賞を受賞した名作である。


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 実地子はジャックの運命が気がかりで、四六時中「黄色い本」が手放せない。

 彼女はひとりになると、身近にジャックの幻が浮かぶほどに、小説の人物に感情移入している。ジャックと言葉を交わし合う。(幻というより、彼女の心理描写なのだろう)。

 ジャックと彼の恋人であるフォンタナン家のジェンニーとの愛の行方を、はらはらと心配し、こころに掛ける。
 
 寒い夜、頭から布団をかぶっていても、革命家の集会に参加する自分を空想して眠れない。彼女は自分も思想をもたなければ、意見をのべなければ同士になれないと考えるから、「われわれは抵抗する」
「団結だ」とプロパガンダを叫ぶ。でも、半分眠っている彼女は、母親から本をかたづけられて、布団の中でつぶやくのです。

 「ジャック、きこえますか。従妹が泣くので、革命ができません。母様が起きるので、革命ができません」
 このあたりの、実地子のいじらしいこと。

 彼女は就職試験を受けて、地元のメリヤス工場に勤めがきまる。
 卒業が近くなり、図書室に本を返却する日がくる。物語の中ではジャックは死んでいるのに、彼女の耳にはジャックの声が聞こえてくる。

 「パリでぼくを尋ねるならば…メーゾン・ラフィットにことづけてくれれば…」

 「知ってるわ。リラの花が咲いている家でしょ」

 「いつでも来てくれたまえ。メーゾン・ラフィットへ」

 ついに、「黄色い本」は図書室へと戻される。

 フランス、パリ、革命とロマンティシズムの夢を見る少女が、自立する生活への入り口へと歩きはじめるまでの、抒情あふれる心やさしい物語なのです。

 家の雑用を手伝いながら交わされる会話の、ごつごつした新潟弁と、夢のフランスとのギャップが、少女の生活感の面白い表現として、見事に成功しています。