『うぐひす笛』から

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 山手馬鹿人(やまてのばかひと)の戯作者名で、大田南畝が書いた江戸小咄(こばなし)の中から、第2回目は入門編として、短くて、分かりやすく、軽いものを3話紹介しましょう。
 いずれも江戸天明年間に出版された『うぐひす笛』から。


      《長竿》(ながさお)
                  
   夜中、小僧、長竿を持ちて庭に出る。
  和尚「こいつは何をしおる」
  小僧「空の星を落とします」
  和尚「ばかめ、そこからとどくものか。早く屋根へ上がれ」

 お寺の和尚と小僧さんのおかしなやりとり。落語のまくらなどで、耳にしたことのある話ですが、それも元は江戸小咄からきたものなんですね。


      《七転び》(ななころび)

   門前の石で、けつまづきてころび、あたりをみて起き上がりしが、2,3間行くと、またころびけり。
  「いまいましい。このくらいなら、起きなけりゃよかった」

 題の《七転び》は七転び八起き、という教訓からとったもの。その意味はなんど失敗してもあきらめず、そのたびに起き上がれば、さいごには幸いがある、ということ。
 そんな教訓なんか、役にもたたない不精者。

 内容は違うが、思い出したことがある。毎朝ラジオで聞く、製薬会社の肩こり薬のコマーシャル。
 テレビで洋画のラブシーンを見て、関西弁のおばさんが、「ああ、しんきくさい。肩こる。こんなもん見なんだらよかった。腹立つ」
 ラブシーンの場面になると、腹が立って、テレビ消す中年女性って、けっこういるんだよね。
 そこでコマーシャル。「肩こりに、ナボリンでなおりん」とくるわけ。
 上の小咄とどこか似てないかな。
「見なんだらよかった」と「起きなけりゃよかった」が似ているだけで、関係ないか?


      《鎗の師匠》(やりのししょう)

  「おらが息子が鎗のけいこに出てから、どうも物事ぞんざい(なげやり)になってならね。武芸の師匠に似合わぬ教え方とみえる」と、親父、もってのほかの腹立ち。
   そのまま師匠へ出かけ、
  「せがれが段々おせわで、ぞんざいものになりました。ご流儀は何でござります」ときけば、
   師匠、
  「拙者、流儀は投げ鎗」


 お後がよろしいようで……。