弓場敏嗣氏の『深夜音楽』評

弓場敏嗣(ゆばとしつぐ)さんは尾道市因島出身で電気通信大学名誉教授。氏は現在SNSで書評を

書いておられる。新刊『深夜音楽』の書評を頂いたので、掲載させていただく。


弓場敏嗣@我孫子
-------------------------------------------------------------------------
■森岡久元(もりおかひさもと)・著:「深夜音楽」、澪標、2013/8、276頁、1,600円

著者は、55歳から小説を書き始め、古希を過ぎて、今回12冊目の短編小説集「深夜音楽」を刊行したという。今まで、著者は幼少期を過ごした広島県尾道市にまつわる、いわば懐郷の想いを中心に書き綴ってきた。今回の小説集は、題材の多くが著者とほぼ同年齢と思われる高齢者(以下、老人と記す)の列伝となっている。介護ホームに住む元プロ歌手の老人(「小石の由来」)、種売り詐欺の相手をする老人(「ハナトラノオ」)、旅館の幽霊譚につきあう老人(「烏森の幽霊」)、性的不能となった世俗の老人(「にらむ女」)、脳虚血症のため散歩中に夢と現実を往還する老人(「別荘橋のできごと」)、耳鳴りに悩む老人(「深夜音楽」)が登場する。加齢に由来する各種の病気をもった老人のオンパレードである。老人病を抱えながら、それぞれに黄昏ゆく人生を耐え忍んでいる。著者は、近年、社会的弱者への関心を高めつつあるようだ。

極貧の幼い姉弟が母の死を看取る「冬のこうもり」は、哀切極まりない。同じアパートに住む老人が孤独死したとき、姉弟は老人がこうもりのように空を飛ぶのを見る。社会から隔絶され、死と隣り合わせる姉弟の生活を、こうもりは死神のイメージとなって前奏する。この作品では老人の出番は少ないが、貧困と薄情が蔓延する現代社会の断面を切り開いている。本の題名となっている「深夜音楽」は、耳鳴りが違った響きを奏でるようになったという老人の話である。今まで生理的な耳鳴りは、竹藪に雨が降りかかるような、あるいは蝉がいっせいに鳴くような音であったという。それが最近になって、<音楽>のような響きをもつ耳鳴りに襲われるようになる。その<音楽>は、同じ小節を機械的に繰り返し、単調なリズムで原始的な楽器を耳の中で演奏する。<音楽>は聴覚器官の老化によるものであり、「まだかなりの遠方ながら、確実に奏で始められた挽歌のひびきが、耳に達しつつある」のであることを悟る。

著者は、夢と現(うつつ)の狭間を語ることに長けている。夢譚といえば夢の話となるが、著者の描く小説世界では、夢と現が行き来する。面白い夢、奇妙な夢は目覚めたときに枕元のメモ帳に書きとめておくという習慣を、作中の主人公に語らせている。どの作品も、主人公の老人が著者自身であるという私小説的な雰囲気をもつ。作中、著者とは異なる第三者の視点で語られてはいるが、著者自身とは違うはずの視点が、いつのまにか著者のものにすり替わる印象がある。これは、評者が著者を個人的に知っているせいからかも知れない。