戦前の尾道商業
現在の長江中学校の場所にあったのが、明治35年に新築された広島県立尾道商業学校だった。
尾道の古浜町へ移転するため新校舎を建設して、昭和14年に落成した。
それが現在の県立尾道商業高等学校であり、わくわく亭の母校である。
写真は落成当時のもの。
いま、わくわく亭は終戦後、尾道へやってきた進駐軍のことを調べながら、小説を書こうと
している。
昭和20年10月にアメリカ軍の6軍第10軍団が広湾から上陸して広島、呉地区へ
進駐しますが、その第10軍団から送られた部隊が、11月3日に尾道へ進駐します。
その進駐軍の宿舎となったのが、なんとこの尾道商業高校の校舎だったのです。
「進駐第一陣は、さっそくジープで吉和地区を走り廻って奇声をあげ、塀の上にのぼり、
通行人へガムやドロップを投げたりした。すぐにそうした行為は上層部から禁止された」
という証言が記録されています。
写真で見るとおり、まわりには広い埋め立て地がありましたから、米軍はさっそく
たくさんのカマボコ型の兵舎を建設したようです。
尾道の古浜町へ移転するため新校舎を建設して、昭和14年に落成した。
それが現在の県立尾道商業高等学校であり、わくわく亭の母校である。
写真は落成当時のもの。
いま、わくわく亭は終戦後、尾道へやってきた進駐軍のことを調べながら、小説を書こうと
している。
昭和20年10月にアメリカ軍の6軍第10軍団が広湾から上陸して広島、呉地区へ
進駐しますが、その第10軍団から送られた部隊が、11月3日に尾道へ進駐します。
その進駐軍の宿舎となったのが、なんとこの尾道商業高校の校舎だったのです。
「進駐第一陣は、さっそくジープで吉和地区を走り廻って奇声をあげ、塀の上にのぼり、
通行人へガムやドロップを投げたりした。すぐにそうした行為は上層部から禁止された」
という証言が記録されています。
写真で見るとおり、まわりには広い埋め立て地がありましたから、米軍はさっそく
たくさんのカマボコ型の兵舎を建設したようです。