丸谷才一のたった一人の反乱

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今年故人となった作家の丸谷才一さんのエッセーや書評はわくわく亭の好きな本だ。

丸谷さんは日本の純文学の主流をなしていた私小説が嫌いだった。

イギリス文学に学んだ丸谷さんは社会風俗を取り込んだ知性とユーモアのある小説を書いたから、

憂鬱な私小説が伝統的に支配的な文壇での評価はかならずしも高くはなかった。

だから、著書のタイトルでもあるが、『たった一人の反乱』を文壇に仕掛けた勇敢な作家だった。



わくわく亭の部屋は紙片が散乱しているが、さきほど、すこし片付けていたところ、

2011年8月30日付けの新聞の切り抜きが出てきた。

「純文学の戒律にあらがう」という丸谷才一さんへのインタビュー記事で、面白いので、

それから少し抜粋する。


日本の純文学の世界の書き方のおきてとしてある「純文学的戒律」、大まじめで、深刻ぶった、

俗でないもの、そうでなければ純文学ではないという考えが嫌だった。(略)



日本では人の良い小説はいけないんですよ。たちの悪い、冷ややかなものの見方や人生への

態度が文学者の理想とされるのです。(略)


ぼくは成熟した市民の楽しみとしてあるイギリス的な小説を目指しています。長編小説というものは

成熟した中流階層があって成立する。それを具現していたイギリス文学の呼吸を学び、身につけて

いたから、漱石中流階層が成熟していなかった日本で例外的にすぐれた長編小説が書けたのだと

思います。

『たった一人の反乱』には、文壇からいささか批判がありました。

「俺の魂の叫びを聞いてくれ」というような私小説を信奉する人から見れば「文学精神において

低級なものだ」と言うのでしょう。

覚悟の上なので「日本の純文学の狭隘な精神風土に対する反逆として書いたものですから、あなたの

ような人にそういうことを言われるのは大変うれしい」と返事をしました。



わくわく亭もまた「俺の魂の叫びを聞いてくれ」といった私小説は書きませんから、

この丸谷才一さんの「反逆」を痛快に感じるものです。


さて、買ってきたばかりの文庫『快楽としてのミステリー』を読むとしよう。