「がんばれ」

今日の夕刊に「『がんばれ』言い過ぎは禁物」という記事がある。

東日本大震災の被災者に「がんばれ」と言い過ぎないで―。日本うつ病学会が1日、被災者を

支援する人たちや報道機関などに向けた緊急提言をまとめ、大阪市で始まった総会で発表した。



提言は「がんばれ」などの励ましが被災者には時につらく、これ以上どうがんばればいいのか、と

感じることがあると知ってほしい、としている。


わくわく亭の友人に、重度の自閉症の女の子の父親がいるのですが、ほとんど有意な発語もできない子

に、ある専門機関の指導によって5歳のときから、娘の手に筆を持たせて軽い支援をしながら文字を

書かせる筆談の訓練を続けていました。

少女が養護学校の1年生になったある日、突然意味のある内容を筆談で語りはじめます。

まるで奇跡のような話です。

わくわく亭は、小説『鹿児島おはら祭り』の中に、その友人の了解を得て、エピソードとして「筆談」

を使っているのですが、自閉症の少女は「がんばれ」という言葉が嫌いだと言っています。


そんな奇蹟のような話として、わたしは紗希ちゃんのことを、江草君から聞いたことがあった。

「紗希が六歳のときです。小学一年生の運動会のあとで、わたしと筆談したときのことです。

紗希は運動会をいやがって、もう前の日からぐずっていましてね、当日はパニックに終始していた

のです。それで、なぜそんなに運動会がいやだったのか訊いたのです。すると、

《うんどうかいがいやなのは、みんなが、いうことがおなじ》 みんながなんと言った、と訊くと、

《がんばれ》

 たしかにわたしたち家族も先生たちも、みな頑張れと言ってます。がんばれ、がなぜ悪いの。

《がんばれは、がんばれるひとに、いうことば。さきは、ゆっくりしかがんばれないです》

 がんばれは、きらいかい?

《さきは、がんばれはきらい。がんばれは、さきがきらいなことを、させるときのことば》

 わたしたちは紗希のこころの負担になっているとも知らず、毎日毎日頑張れ頑張れ、

と言い続けてきていましたから、紙の上に一文字ごとゆっくりと刻みつけるように書き出して

くることばに、はっと、胸をつかれる思いでした」

「う―ん。《がんばれは、がんばれるひとに、いうことば》か。すごいな。

 なにがすごいといって、五つ六つになるまで、閉ざされていてうかがい知れなかった

彼女の内面世界が、びっくりするほど豊かな表現力のある言葉で、

そとに向かってひらかれてきたってこと」

「そうなんです。どんな内面世界なのか、ただただ荒涼とした世界なのか、わたしたち家族が

どう映っているのかいないのか、かいもく見当がつかないで、おぼつかない思いで接して

いましたから、筆談ができるようになってから、おどろきの連続でした」

「マグマが地殻を破って出てきたみたいだね」

「筆談ができていなかったら、いつまでも,愚かにも頑張れと言い続けていたでしょう。

 紗希にすれば、自分の内面をわたしたちに伝えたくても、その手段方法がなかったために、

じれてパニックになっていた面があったでしょう。自分を表出する方法をみつけてから、

はっきり変わってきました」

 江草君の手でかるく支えられた細い手が、握ったペンやエンピツで一文字一文字ていねいに、

根気強く言葉をつづる少女の姿が眼に浮かぶ。

「自閉児や障害児たちの書字をたすける方法を、日本では表出援助法などと呼んでいるのですが、

こんど国立の研究機関が出した表出援助法の研究報告書に、わたしも紗希の書字に関する体験を

論文にしているんです」

「差し支えなかったら、それ読みたいな。ぜひ、読ませてよ」

「東京に帰ったら、送ります。読んでみてください」




《がんばれは、がんばれるひとに、いうことば》