「スリラー」の呪い

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興味ある記事を書いている。(7月4日 朝日新聞

1982年発表の「スリラー」のミュージックビデオの革命的な成功によって、ポップスを

視覚的な芸術に変えた、という。

あまりに見事な成功によって、それ以後のどんなアーティストのミュージックビデオといえども

しょぼくみえてしまった。

それはマイケルにとっても例外ではない。誰も「スリラー」を超えられないばかりか、

マイケル本人にも超えられない作品となった。

いわば、一種の「呪い」となったのだ、という論旨。

しかし、それはマイケルの才能だけによるものだろうか。

アルバムのプロデューサーだったクインシー・ジョーンズの手腕によるものが大きかった。

《歌手としては声量があるとも言えないし、傑出したソングライターでもない。

 ただ、彼には、とんでもないアイドル性、スター性があった。

  プロデューサー、ミュージシャン、ビデオ監督、衣裳、特殊メーク、振り付け。

 こうした優れたスタッフが、マイケルをより魅力的に作り上げた。

 彼自身もそれに満足していただろう》

キング・オブ・ポップ」という言葉が独り歩きしている面があるが、ポップミュージックの

世界とはそういうものなのだ、とバラカンさんは言う。

そうか、「スリラー」をマイケルは超えようとして、努力をつくし、苦しみもしたか。

それは、たしかに成功というものの「呪い」か。