艶笑(えんしょう)

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  山手馬鹿人は大田南畝が戯作(げさく)をしたときに使った作者名の一つです。

 名前はふざけたものですが、身分は軽いとはいっても、そこはれっきとした二本差しのお武家
 さんです。
 
  江戸で生まれて、江戸に暮らした、幕臣のプライドというものがある。
 小咄本を書いても、笑いとウイットに加えて、武家らしい品位は欠いていない。

  前回の『かはづ(蛙)』が好例といえます。

 
  その点、町人出身の作者は品位なんか、おかまいなしの艶笑小咄、つまりエッチな話を、
 ズケズケやって屈託、遠慮がない。

  そのあたりの比較をしながら、味くらべをしてもらうため、遠慮のないエッチなものをいくつか
 ご披露しましょう。
  武家の作者が好みか、町人作者が好みか、読む人のお好み次第。


  大田南畝の親友で、狂歌仲間だった朱楽菅江(あけらかんこう)もまた幕臣でした。菅江も
 南畝とおなじように黄表紙(きびょうし)、洒落本(しゃれぼん)を書いていますし、小咄本も
 出しています。

  こんどは、馬鹿人さんに入れ替わって菅江さんに登場してもらいましょう。
 定説ではないものの、朱楽菅江が書いたといわれる『茶のこもち』(安永3年刊)から、
 これも武家らしい品のある吉原ものをひとつ。

  解説をちょっとだけ。
  吉原で有名な廓(くるわ)丁子屋(ちょうじや)にあがった客は魚屋さんだ。
 大金はないから、若い経験の浅い遊女である新造(しんぞう)を敵娼(あいかた)に揚げている。
 となりは金持ちの座敷なのか、大騒ぎ。こっちは、話もなくて、なんとなくさみしい座敷。


       《吉原》

   丁子屋(ちょうじや)の座敷大さわぎ。
  となり座敷は、新造(しんぞう)揚げて淋しくしている。
  「あのようにさわぐに、なんぞ言いなんせ」
  「おらは何もしらぬ魚屋だ」
  「なんなりとも言いなんせ」
  客、
  「大がつお、大がつお、大がつお」(かつおの売り声)
  「コリヤ あたらしい」


  さて、おつぎは『今歳花時』(ことしはなし)安永2年発行。編者の経歴不明ながら庶民的
 な笑い話が集められているので、武家ではなく町人らしい。


       《枕草紙》(まくらのそうし)

   枕草紙(エロ本)を見ながら、通り丁を行きしに、
  「アア急に一番」ときざして(セックスしたくなって)、尚読み読み行く向こうから、
  田舎の親父が江戸見物と見えて、娘を連れて来るを、これ幸いのことと、
  無理に引きこかして、草紙を広げて、
  「エエ、この手でしょうか、あの手でしょうか」
  娘「アレ、とっ様、とっ様」と呼ぶ。
  親父「マア だまっていろよ。書物を見てなさるから、悪いことではあるまい」

  どうも、江戸っ子というものは、田舎ものをバカにして笑う傾向がある。 
 それにしても、無知な親子はあわれで、笑っていていいものか。

  つぎは《衆道》(しゅどう)という話。衆道とは男色のこと。男色といってもおわかりにならぬ
 方には、ホモセクシャルのこと。ホモセクシャルがおわかりにならぬ方には、男の同性愛。それが
 わからぬ方は、もう読むのはおよしなさい。


       《衆道

  「痛くせぬから、いうなりになりや」と、ようよう合点させて、尻ひきまくり、
  よく濡らしても雁首が通りかねるを、チクト、力を入れて押しこめば、
  ヌルヌルグウイとはいった。
   若衆の前に手をやって見たれば、若衆のへのこがグットおえた。
  「ナム三宝、突きぬいた」

  南畝や菅江の風流とは大違い。
 さあ、どちらが、およろしいかな。
 なに、えげつないのがお好みか。では、あと2つ、こんどはちょっと情緒もある艶笑ものを。

  そのまえに、わくわく亭はウォーキングに出かける時間なので、また後刻。